「あ。もしかしてこれが、例の『桜のお守り』?」
「え?」
「あ、ごめん。凄く不思議な話だったから、理沙にも話しちゃった」
理沙ちゃんの問いに疑問の声をあげた傍から、彩乃ちゃんが言う。その説明に納得し、変な話だろ? と、笑って言うべく、理沙ちゃんを見たまま口を動かそうとした。だけど、それより先に理沙ちゃんが、こっちを見て言った。
「素敵なお母さんだね」
涼しげな奥二重の目が、俺を映してやんわりと微笑む。
「孝くんのこと本当に愛してるんだって、伝わってくる」
―――ああ、参った。
「…うん。そうなんだ」
一呼吸遅れてそう答えながら、心底そう思った。
やっぱり、彼女が好きだ。本当に好きだ。めちゃくちゃ好きだ。参ってしまうくらい、好きだ。
人の言動の表面だけじゃなくて、その奥にあるものを、彼女は当たり前のようにいつも、しっかり見てくる。彼女のそういうところに惹かれて、俺は彼女に恋をした。
俺は三人姉弟の末っ子で、親は勿論、姉達にも囲まれて育った。学校の先生や友達にも恵まれて、家の外でも人に囲まれて育った。そんな環境の中、お調子者でよく喋るせいか、自然と輪の中心になることが多くて、だからいつも明るく笑っていた。おちゃらけて楽しそうに笑っていれば、周りにいるみんなも明るい楽しそうな顔で笑ってくれるから。それが、嬉しかったから。
だけど俺だって、憂鬱な暗い嫌な気分になることもある。そんな時でも周りの誰かにどうしたって訊かれたら、つい、おちゃらけて笑って、気持ちを誤魔化してしまう。心配させたくないから。気を使わせたくないから。明るいいつもの俺を演じることで、みんな安心したような笑顔になる。それを見て、俺も安心する。きっと、生まれついてのお調子者なのだ。
彼女はそれを、初めて会った日に言い当てた。その上で、それは周りへの気配りだと言ってくれた。『桜のお守り』の件も、その不思議な話そのものじゃなく、その裏にある、母親の俺に対する愛情に対して彼女は感想を述べた。
可愛くて優しい女の子なら、沢山いる。だけど彼女みたいに、しっかりと人の心を見る子は、なかなかいない。彼女がいい。彼女が好きだ。欲しい。高望みでも何でも、一度抱いてしまった望みは消せない。
俺の返事にもう一度微笑んで、理沙ちゃんは、みんなにフォークを配り始める。その姿を目で追いながら、真剣に考える。
どうしたら、彼女を振り向かせることが出来るのだろう。どうしたら、彼女が好きになるに相応しい男になれるのだろう。願って叶うものなら、それこそ『桜のお守り』にでも何にでも何万回と願うけど、こればっかりは神頼みが意味を成さないことを経験で知っている。
真生に相談したらきっと、当たって砕けろと言うだろう。真生だけじゃない。多分、殆どの人がそう言う。だけど、砕けた後にリトライできる余地がなかったらと考えると、簡単には砕けられない。母親が言うように、本当に俺は肝心なところで気が小さいのかもしれない。だけど、言い訳だとしても、真剣に欲しいと思うからこそ、慎重になってしまうのだ。
「はい、孝くん」
言いながら、理沙ちゃんがフォークを渡してくれる。向けられたその顔に、高鳴りっぱなしの心臓が、彼女が好きだと更に激しく自己主張してくる。
「ありがとう」
うるさい心臓はひとまず放って、笑顔でお礼を言って受け取れば、いえいえ。と、言いながら理沙ちゃんも笑ってくれた。そして、またすぐに余所に向けられるその顔を、みんなを見る振りをしながら盗み見る。
彼女みたいな子には、二度と出会えないかもしれない。本当に欲しいなら、他の男に取られる前に動くべきだし、何事も尻込みしていたら始まらないということも分かっている。だけど、今は、まだ――――……。
俺的には盗み見ているつもりだけど、多分、彼女は気づいているのだろう。彩乃ちゃんを手伝う風を装いながら、頑なにこっちを向かない顔がその証拠だ。多分、さっきの不躾な視線にも気づいていた。その上で、知らない素振りを突き通す。彼女は彼女なりに、俺に期待を持たせないように気を使っているのかもしれない。
ごめんね、困らせて。心の中だけで、視線の先の理沙ちゃんに、そっと謝る。
困らせていることは分かっているけど、でも。どうしても、今は、まだ。
せめて、どうしようもなく好きだという気持ちをどうしようも出来ない俺自身が、どうこう出来るくらいの男になるまで。欲を言うなら、俺の気持ちが君の心に根付いて、願ったとおりの形に見事花開くまで。
どうかそれまで、誰のものにもならないで。困りながらでも時々気が向いたときに、こっちを見て笑って欲しい。なんて、勝手な言い分だけど。
だけど、本当に。本当に俺、頑張るから。
だから、お願い。
ゆっくりでいいから。いつかでいいから。
俺を好きになって。
神様でも仏様でも『桜のお守り』にでもなく、今ここにいる理沙ちゃんに向けて、真摯な願いを視線に託す。
君のことが、好きなんだ。
(終)
(2013.07.16)
きみのことがすきなんだ