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 最初にこの話を持ちかけた時、メルロイが首を縦に振らないだろうことは、目に見えて分かっていた。いつだったか、この仕事が嫌にならないかと問うた俺に、好きだからいいと、笑って返したやつだ。正直、メルロイのその言葉を聴いたときは、胸を揺さぶられた。ああ、こいつは本物だと思った。何に対して本物のなのかは、分からないが、そう感じた。

 だから俺は、メルロイが簡単に頷かないと分かっていたからこそ、突き放すような、冷たい物言いをわざとした。バルバには到底無理だと分かっていたし、そうすることが、副隊長である俺の義務だと思った。

 傷つけたことは、分かっていた。傷つけようと思ったわけではないが、傷つくだろうと分かっていて言ったのだから、同じことだ。

 いつか、この選択がどれだけ人生に大きな意味があったか、メルロイは知るはずだ。その時に、いや、そのずっと後でもいい。結婚して幸せな生活を営みながら、ふとしたきっかけで、ここのことを思い出すことがあったならその時にでも、何故あの時俺が突き放したか、少しでもその真意を分かってくれたら、これ以上のことはない。ここを出て、普通に恋愛をして、人並みに家庭を築いて、幸せになってくれればいい。そう思った。今も、そう思ってる。だというのに。

 

 ――そしたら、少佐は、嬉しいですか。

 

 情けないほど、メルロイの声が、焼け付いて耳から離れない。縋るような目も、そこから落ちた涙も、焦げ付いたように残って消えない。

 あんな顔をさせたかったわけじゃない。あんなことを言いたかったわけでもない。だが、他にどうしようもなかった。大体、ああ言う以外にどうしろというのだ、俺に。どれだけ、俺が―――…。

 

 ぎり、と、強く噛んだ煙草の先から、煙がぼんやりと揺れて宙を上っていく。吸い慣れた煙草が異様に不味く感じて、思わず眉根が寄った。

 

 全部、メルロイのためだった。この話を切り出したのも、心無い物言いで突き放したのも、あの言葉も、何もかも。遅かれ早かれ、メルロイがここから出て行く日が来るのは、必然なのだ。なら、一年でも早いほうがいい。契約更新の時期と重なったのは、幸運だった。あいつのためには、こうしてやるのが、一番いい。これが正しいのだ。いつかはきっと、あいつにも分かる。たとえ、今は、ここを去る寂しさに泣いたとしても。

 

 風が一際大きく窓を揺らして、その音に窓へと目をやる。寒々とした鉛色の雲が空を覆っているのを見て、余計陰鬱な気分になった。太陽がまったく拝めない分、今日はいつも以上に寒い。旧式のストーブなど、すぐ真横にでもなければ、何の意味もない。

 不味さに嫌気が差して、舌打ちと共に煙草を消す。早く、最後の日がきたらいい。そう思った。早く出て行ってくれ。そうしないと、俺がどうにかなってしまいそうだ。

 

 もう一度、窓の向こうに目をやる。何度見たところで、空に張り付いた鉛色の雲は僅かにも陽の温もりを感じさせない。この様子だと雪が降り出すのも、時間の問題だ。低いため息をひとつ落として、俺は机に向き直った。

 

 

 

 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 天日干しを諦めて乾燥機にかけた洗濯物には、まだ熱が残っていた。ほかほかのタオルを手に、私はぼんやりとカレンダーの数字を数えていた。

 最近、気がつくとカレンダーばかり見ている。料理をしている合間、掃除の合間、こうして洗濯物を畳んでいる合間にも、ふと我に返れば、私はカレンダーを見ていた。

 今年の初めには間違いなく十二枚あったカレンダーも、もう最後の一枚だ。ここよりもっと北のほうでは、既に雪が積もっているらしい。そうTVで言っていた。こちらも二、三日中、もしかしたら今日中にも、降り出すかもしれない。どんよりと暗く重そうな雲をちらと見上げて、そんなことを思った。

 

 不意に響いた、こんこん、というノックの音に、ぼうっとしていた意識が、ふっと浮上する。

 どうぞ。と声を放てば、がちゃりと開いたドアの向こうに、グリン君が立っていた。

「あ、おかえりなさい。出張お疲れ様でした」

 この時期、グリン君は非常に忙しく、基地にいることのほうが少ない。諜報部員である彼は、出動要請に従って現場に赴くことはないけれど、その分、裏で神経をすり減らして活動している。

 こうして顔を合わせるのは、何週間かぶりだ。心なしか顔色が悪い。その様子に、自然と私の顔も険しくなる。

「大丈夫? 少し時間あるなら、私すぐ、部屋暖めてくるから、ちょっとだけでもベッドで休んだら?」

 洗濯物を放って立ち上がりかけた私を手だけで制すと、グリン君は冷えた廊下の空気と一緒に部屋に入ってきた。バタン、と、その背後でドアが閉まる。そのままグリン君は、体を投げ出すようにどさりとパイプ椅子に腰を下ろした。ちょうど、テーブルを挟んで向かいに位置するその顔は、やはり色がない。

「グリン君、ねぇ、具合悪いんじゃないの? 無理しないで、少し休んだほうが」

 いいんじゃない? 言いながら私は、熱の有無を確かめるべく、中腰のまま手を伸ばした。けれどその手は、グリン君の額に届くことなく、テーブルに広げた洗濯物の山の上で止まった。止められたのだ。グリン君の手によって。

 え。と、思わず固まった私には構わず、グリン君は私の手を握ったまま、真一文字に結ばれていた唇から唐突に声を発した。

「リサちゃん。辞めるって本当?」

 

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~ 少佐と私。~

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