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【 09 】 - 2

 

「万物には精気が宿ると話したことがあったろう? この星は誕生以来、ずっと精気を生み続けておる。無生物には無生物の、生物には生物の、神には神の、精霊には精霊の精気があって、星に存在する限りは皆それぞれ、己の精気から命を貰う。母なる星が生み出す精気によって生かされているという点では、人間も精霊も変わらぬ。お主も私も同じ星の子、星に愛される姉弟だ」

 幼い子に話して聞かせるような口調で言って、静かにフィーは続ける。

「私達精霊とは、星が生んだ精気だけで念を形成し、尚且つ己を具現できるもののことだ。その起源は、我ら最上古精が生まれた何十億年昔にも遡る。この星において最も古い起源を持ち、己の精尽きた時、消滅せずに星に還ることが唯一可能な精気を持つ生命体。肉体ではなく、精体に生命を宿すもの。それが精霊」

 粛然とした気分で耳を傾けながら、俺はその毅然とした横顔を見つめていた。

「私達は星の精気が具現した存在であるゆえ、生まれながらに魂は持たぬ。だが、魂が大いなるものから本能を与えられているように、私達も星から本能を受けて生きておる。私達精霊の本能は、星の本質と同じ。慈しみ、育むこと。そして、精霊の中でも我ら最上古精と上古精は、本能だけでなく、星に満ちる精気をより良く潤滑させるために、大いなるものからそれぞれ天分を授けられてもおる。私の天分は、慈恵と浄化のふたつ。私は古来より己の本能と天分に従って、この星に生きるものすべてを愛し、育み、与え、清めてきた。この星に息づくすべての生命にとって、私はかつて本当に、母にも等しい存在だったのだ」

 息継ぎをするように、フィーはそこで少し口を止めた。見つめる先で、その横顔が硬く、厳しいものになっていく。

「だが八百年前、私はレネを失い、本能も天分もかなぐり捨て、この世のすべての生命を憎み、呪った」

 再び動き出した口から響く声は低く抑揚がなく、その硬い横顔は、まるで石像のようだった。月の光に照る青い目だけが、精彩をかろうじて残していた。

「激しい憎しみは精気を腐らせ、レネを愛したことで得た魂をも害した。私の体は肉体ではなく精体で、しかも私は最上古精で無限の精気を持つ者だったために、精気がどれほど腐り果てようとも尽きることなく、生きたまま、私は穢れとなった。その影響力は凄まじく、この星の全ての精気を害し毒す勢いだった。もしも精霊王があの時、その力の半分を捨てて救ってくれなんだら、私は本当にこの星の全生命を滅ぼしていたかもしれぬ」

 窓ガラスに映る自分を真っ直ぐ見ながら、フィーは低く静かに言葉を吐き捨てるように言った。

 その目はちらりとも動かず、俺には横顔しか見えなかった。それでも容易に、その石像のように硬い表情の裏に、計り知れない悲痛と苦痛が入り混じった悔恨の念が激しく渦巻いているのを、ひしひしと感じ取ることが出来た。それほどに、隠し切ることが出来ないほどに、その感情は熾烈だった。

 知らず知らずのうちに握り締めていた手のひらに、爪が刺さる。今、他者に対してあれほど深い愛情を目に映し出すフィーを見て知っているだけに余計、その熾烈な感情に呑まれ押し潰されることなく、しゃんと立っているフィーが、その姿が痛々しかった。

 ほんの少し間をおいて、フィーはやや目を伏せた。青い目が、静かに瞬く。

「精霊王はその力を持ってして、私を精体と魂に分裂させた。そして腐った精気を燃やしつくし、清めることもしてくれた」

 依然として厳しい声つきながらも、そう話して聞かせるフィーは、さっきまでの硬い表情ではなく、そこに僅かに、偲ぶような色を浮かばせていた。

「しかし、穢れとなった私の魂に刻まれた念は強すぎて、どうしても清めることが出来ず、消滅させるしかもう手立てがなかった。自らの弱さが招いた罪への報いとはいえ、私は悲しみに深く嘆いた。星に属する精霊が魂を得るということは、その記憶を大いなるものの一部とするということ。魂を失えば、私は記憶を失い、レネを愛したことは勿論、その存在をも完全に忘れてしまう」

「レネを忘れて、穢れたこの身に何が残ろう。レネの記憶を失うくらいなら、いっそ消滅したかった。一度根源から腐ったがために、私の精気はもうかつてのように無限には湧かず、消滅することが不可能ではなくなっていた。身勝手と知りながらも、魂と共に消滅させてくれと、私は精霊王に何度も請うた。最上古精の一人である精霊王ならば、その時私を消滅させることも可能だった」

 過去に耽るかのように遠い目をして、一言一言ゆっくり言葉を紡ぐその口が、微かに、少しだけ微笑む。

「だが精霊王は、道を外し穢れ堕ちた私をそれでも見捨てなかった。私の魂を救えるものが再びこの星に戻るその時まで、魂を封印するという禁じ手を使ってまで、私に慈悲を与えてくれた。たとえ無限の精気がなくとも、魂の再来を待つくらいの精気は充分にある。私にとって、これほどの恩赦は他になかった」

 俯き加減で、感じ入ったように話すフィーの目には、薄っすらと涙が滲んでいた。

 精霊王と呼ばれる人のその采配が、フィーの心を救ったのは間違いようもなかった。会ったこともないその人に、俺は深い敬意の念を抱くと同時に、その人が何故、自分の力の半分を捨てた上に、禁じ手を使ってまでフィーを救いたかったのか、何となく分かって、少し切なくもなった。

 フィーは感情を整えるように一呼吸置くと、表情と共に声を少し強張らせた。

「しかしながら、そのことを快く思わなかったものもおる」

 言って、フィーがこっちを向く。

「水の姫達。白の姫と、金の姫。私の姉にあたる者達だ」

 はっきりとそう告げた声は鋭く尖り、顔には濃い険があった。

 フィーのその表情に、あの海辺で遭遇したあの恐怖の存在が、そのどちらかだと直感した。

 一瞬で背筋に恐怖が蘇って、身を震わせた俺を尻目に、フィーは俺の肩の辺りを見ながら、苦々しそうに早口で続ける。

「元より彼女達は、レネと私のことを許してはいなかった。私達水精の愛は、星に存在する愛の中で最も尊いとされる。ゆえに多くから欲されるが、本来は何かひとつに捧げるべきものではなく、万物に向けるべきもの。とはいえ、白の姫はともかく、金の姫には愛を交わして遊ぶ恋人が沢山いた。彼女達が許せなかったのは、私が誰か一人に愛を捧げたことではなく、愛を捧げた相手が精霊でも神でもなく、ただの人間だったことだ」

 一気にそこまで言って、少しだけ躊躇うように、声のペースが遅くなる。

「お主を前にして言うのも何だが、永き時を生きた精霊にとって人間は、地の動物の一種に過ぎぬ。お主達にとっての犬や猫と同等だ。誇り高い彼女達にとって、同じ水の姫である私が選び愛を捧げた相手が人間だったことは、許し難い恥辱だった。その上、星を母として生まれながら、私が魂を得、大いなるものの一部となると決めたことも、彼女達にしてみれば、裏切り以外の何ものでもなかった。私達は幾度も幾度も衝突し、その度に心が遠く離れていった」

 強く言い切り、フィーは険を孕んだ青い目を俯かせた。寄せられた眉根に、皺が小さく浮かぶ。

「それでも当時の私は、いつか彼女達にも分かってもらえると思っていた。たとえレネ一人に愛を捧げても、万物を慈しむことは出来ると、今ならばその考えが甘い夢だと分かるが、その時は本気でそう考えておったし、庇護の対象でしかない脆弱で薄情な生きものと彼女達が見做す人間が、驚くほど心豊かで情細かく、時に我らをも圧倒するほど逞しいことも、魂を得る行為が、けして母を捨てる意ではないことも、いつかきっと、分かってもらえると思っておった」

 自分の浅はかさを悔やむように顔を歪ませて、フィーは唇を噛んだ。そして、やっぱり悔しそうに口を開いた。

「だがそうやって、レネを愛し魂を得た結果、私は穢れになった。そのことが、彼女達の誇りを完膚なきまでに傷つけた。彼女達は、私の魂の消滅を強く望み、それがなされないと知ると精霊王に背を向け、封印にも一切手を貸さなかった」

 だけど、その声は確かに、悲痛に震えていた。

「彼女達はけして私を許さぬ。彼女達にとっては、こうして今尚私が魂を持ち存在していること自体、耐え難い汚辱なのだ」

 その痛みを噛み締めるように、俯かせた目を苦しげに狭め、フィーは一度口をきつく閉じた。

 そして再びその口元にぎゅっと力を入れると、フィーは俯かせていた目をあげた。苦しげだった表情は押し込まれ、その青い目には険しさだけが残っていた。

「あの海辺でお主が遭遇したは、白の姫。水の一姫であり、母の長子。その力は、私と金の姫の力を合わせたよりも、遥かに上回る。同じ水の姫であっても、私や金の姫とは別格の存在だ。あの御方はその気になれば一瞬で、全ての陸地をその領域の底に永久に沈め葬ることが出来るほどの力を持っておる。水の惑星とも呼ばれるこの星において、あの御方と比肩出来る力を持つ者は、およそ存在せぬ」

 険を孕んだ目で俺を見ながら、フィーが強い口調で重々しく告げる。俺は頷くことも、何も出来ずに、その顔を眼球にただ映していた。

 あの強大な恐怖の存在が特定出来たところで、体に刻まれた恐怖が消えるわけでもなく。それどころか、その強大な恐怖の底知れなさを言葉で改めて思い知らされて、文字通り、血が引く思いだった。

 

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