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【 05 】 - 2

 

「やっぱり。フィーちゃんも」

「彩乃ちゃん…」

 小さく手を振り、彩乃ちゃんが笑って近づいてくる。フィーは何も言わず、俺の背に隠れるようにして、目元を拭った。

 その様子に、彩乃ちゃんも何事か感じ取ったのだろう。浮かべていた笑顔に、戸惑いが混じる。

「……ごめんなさい。私、なんか邪魔しちゃった…?」

「あ、いや…」

 何と言っていいか分からない。とりあえず曖昧に濁して、話題を逸らした。

「彩乃ちゃん、今バイトの帰り?」

「うん、そう」

 顔を見せないフィーを気にしながら、彩乃ちゃんが頷く。

「今から、中学の時の友達と一緒に、お線香あげにいこうと思って。駅前で待ち合わせなの」

「お線香? ……ああ」

 話を思い出して、俺もまた頷く。

「お通夜もお葬式も出れなかったから、せめて、それくらいさせてもらいたくて」

 ほんの少し目を伏せてそう言って、彩乃ちゃんが続ける。

「真生くん達は?」

「俺達は……」

 答えかけて一瞬、今日これまでに起こった一連の出来事が、走馬灯のように脳裏に過ぎって、胸のあたりが石を飲み込んだみたいに重くなった。無理やり、頬と口を動かして明るく笑う。

「孝の見舞いの帰り。あいつ、ちょっと怪我しちゃって、そこの総合病院に入院してんだよ、今」

「えっ、怪我? 孝くんが? 大丈夫なの?」

 驚いて目を大きくした彩乃ちゃんが、みるみる心配顔になる。俺は、重い感情とは裏腹の軽い声を出した。

「うん。ちょっと頭縫わなきゃいけなかったから、面白い髪型になってるけど、大丈夫。あ、良かったら今度暇なときでも、理沙ちゃんと一緒にお見舞い行ってあげてよ。あいつ、喜ぶと思うから」

「うん、そうだね。そうする」

 心配そうに眉尻を下げて、そう彩乃ちゃんが頷いた時、彩乃ちゃんの鞄の中で携帯が鳴った。当たり前だけど、アニメソングじゃない普通の着信音。

 俺の携帯は、まだポ○モンのままだ。今日は、孝がいじってない。孝がいじってないから、変わらない。これまでずっと、会うたび毎回のように孝は、俺の携帯をいじって着歌を勝手に変えてきたのに。この歌いいだろうとか、このアニメは熱いとか、人の文句も聞かないで、能天気な顔で、いつも………。

 初めて会ったのは、大学の入学式だった。孝は隣の席に座ってた。先に声をかけてきたのは、孝だった。何の授業を取るかとか、どこ出身だとか共通の友達とか、そんな話をした。それから、同じ授業を取って、同じレポートに苦戦して。一緒に飯食ったり、遊びに行って、そのまま俺のアパートに転がり込んで、朝までゲームしたりして、くだらない話で一緒に腹抱えて笑って、いつのまにか孝が勝手に人の携帯いじるようになって、気がつけばいつのまにか、他のどんな友達より一番―――…。

 

「あ、ごめん。友達からだ。私、行かなきゃ」

「…ああ、うん。気をつけてね」

 彩乃ちゃんの声に、ふと、物思いから覚める。彩乃ちゃんはそれには気づかなかったようで、笑顔を見せた。

「うん。ありがとう」

 俺にそう言い、俺の背後にいるフィーに目線を送る。

「フィーちゃん、またね」

 無視するかと思ったけど、フィーはその挨拶に小さく手あげて振ってみせた。それを見、彩乃ちゃんが安堵したように微笑む。

「じゃあ、真生くんも」

「うん、じゃあね」

 フィーに倣ったわけじゃないけど、俺もまた手を振った。

 そのまま去るかと思った彩乃ちゃんは、だけどその場に足を止めたまま、躊躇うように、少しだけ目を伏せた。その目が、思い切ったようにまた俺を見る。

「あの、……またメールしても、いい?」

「うん、いいよ?」

 今日の昼間だって普通にメールしてたのに、どうして突然そんな確認をするのかよく分からないものの、とりあえず頷いておく。途端、彩乃ちゃんは顔全部で笑顔を作った。

「良かった。じゃあ、またね」

 可愛らしく八重歯を見せながら笑って、彩乃ちゃんはそう言うと、駅へ向かう人の波に足早に紛れていった。

 その後ろ姿が見えなくなるのを待って、俺は口を開いた。

「フィー」

 返事は半ば期待してなかったけど、少し遅れて返ってきた。

「………なんだ」

「なんか、中途半端になったけど、……ごめん」

 言いながら、そろりと後ろを窺がう。

「色々ありすぎて、混乱しっぱなしで、苛々して八つ当たりした。関係ないとか、酷いこと言ってごめん」

 フィーはまだ俯いていた。その目元が薄く赤くなっていて、いつもの理由のない罪悪感とは違う、純粋な罪悪感を覚えた。

「……八つ当たりしたのは、私も同じだ。お主を責めたところでどうしようもないというに、つい、癇癪を起こした」

 ぽつぽつと言葉を零すように、フィーが言う。その顔がゆっくりと上がる。

「真生、」

「フィー。もう一度聞くけど、孝のこと、本当なんだな?」

 俺はフィーの言葉を遮って、言った。本当は、もう分かっていた。さっきの、見ているだけで辛くなるようなフィーのあの表情、あれが俺の中で答えになっていた。だからこれは、フィーへの問いではなく、覚悟のための確認だった。

 フィーは、何か言いかけた言葉を静かに飲み込んで、ゆっくりと悲しげに頷く。それを見届けて、俺はもう一度、真正面からフィーに向き合った。

「何か、何でもいいから、その穢れを祓う方法は、本当にないの? 孝は友達なんだ。死ぬって聞かされて、あっさり納得出来るわけない。友達なんだ。大事な」

 失うわけにはいかない。こんな理不尽なことで、失いたくなんかない。

「俺はお前みたいに凄い力もないし、穢れってやつも見えない。でも、何にも出来ないからって、孝が死ぬのを黙って見てるなんて、絶対にいやだ。何か、何でもいいから。俺、何でもするから。どうしたら孝を助けられるか、教えてくれ。頼む」

 言って、深々と頭を下げた。ここまで頭を下げて何かを願ったのは、人生初かもしれない。それくらいに、深々と下げた。

 歩道の真ん中で、向かい合って立ち止まる俺達を、通行人の波が邪魔そうに避けていく。

 フィーだけがずっと、その青い目に哀しげな表情を浮かべて、俺を見ていた。

 

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