【 03 】 - 2
神様。俺は何か、あなたに嫌われるようなことをしたのでしょうか――――。
孝の頼みというよりフィーの脅しに負けて、行くことになったドライブの当日。埃臭いガレージに置かれた深緑色のワーゲンの前で仁王立ちするフィーを見ながら、俺は心の中で神様に真剣にそう問いかけた。
「………勘弁してくれ」
「よいではないか、別に。私とて指輪に篭りっぱなしでは気が滅入るのだ。それにお主一人に任せておいては、いつまでたっても埒が明かぬ。一人より二人と、昔から言うであろう」
げんなりとして項垂れる俺に向かって、フィーが軽快な声で言って返す。ちなみに今日の彼女の髪は、いつもの銀色じゃなく黒だ。どういう仕組みになっているのかは知らないけど。
「何が悲しくて、友達と遊ぶ時までお前の面倒みなきゃいけないんだよ。いつもみたいに指輪の中で大人しくしててくれよ、頼むから」
「嫌だ」
朝起きてからここに来るまで、彼此数時間近く続けている俺とフィーのそのやりとりに、いいじゃないの。と、傍らから皐月さんが暢気な声を挟む。
「折角、髪の毛まで日本人に合わせて黒くしてるんだし。友達には親戚の子とでも言っておけばいい。心配しなくても、誰も真生くんの子供だなんて思わないよ」
「当たり前だ」
作務衣の懐に手を入れてのんびりと腹を掻く皐月さんをキっと睨んで、頭をがしがし掻き毟った。
「てか、そういう問題じゃないだろ。勘弁してよ、マジで」
「えー、じゃあどういう問題? あっ、もしかして真生くん、女の子といい雰囲気になってあわよくば、えっちな展開に持っていこうと企んでる?」
「そうじゃないけど!」
まあ、そういう展開を全く期待していないって言ったら、嘘になる。
俺だって一応、年頃の健全な男子なのだ。いきなりそういう関係に発展せずとも、初めて会う女の子に対して、出来るだけ好得点を稼いでおきたいと思って何が悪い。たとえその子が好みのタイプじゃなくても、そこから何か他の縁に繋がる可能性だってあるかもしれない。
それを、最初からこんな横暴な幽霊もどきを同伴だなんて、自ら試合放棄しているようなものじゃないか。
不貞腐れて顔を顰めたら、フィーが慰めるように俺の肩に手を置いてきた。
「案ずるな、真生。万が一そういう事態になったらば、私はすぐさま指輪の中に戻って、静かに逐一全部見守っていてやるから、安心して事に臨め」
「臨めるかっ!」
涼しい顔でとんでもないことを言うフィーの手を肩から叩き降ろしたちょうどその時、ガレージに能天気な明るい声が響いた。
「お邪魔しやあっす。真生、準備できたあ? あ、おはようございます、皐月さん」
「おはよう、孝くん。真生くんから聞いたよ。意中の彼女と念願の初デートなんだって?」
「いやあ、デートだなんてそんな。それより、車ありがとうございます。恩に着ます、マジで」
今にも宙に浮きそうな足取りでガレージに入ってきた孝が、皐月さんの言葉に、でれっと笑う。普段より数倍硬そうな髪の毛が、どれほど気合を入れてセットしたかを物語っていて、微笑ましいというよりもはや、ちょっと切ない。友として、その努力が無駄にならないことを切に祈る。
なんて思っていたら、孝がふと、俺の隣にいるフィーに目をやって首を傾げた。
「あれ。真生、その子は?」
「え? ……ああ、そっか。えーと」
言われてみれば、フィーは指輪の中で何度か孝に会っているけど、孝からすると全くの初対面になる。初対面の幽霊もどきに初デートを邪魔されるなんて、とことん運のないやつだ。まあ、取り憑かれている俺よりか全然マシだけど。
何と説明したらいいものかと俺が一瞬口篭ったその隙に、フィーが見た目だけは可愛らしい笑顔を携えて、孝のほうへと一歩歩み寄った。
「はじめまして、孝お兄ちゃん。今日はドライブに誘ってくれてありがとう。私、すごく楽しみにしてたの」
「へ?」
ぽかんとする孝に皐月さんが、これまた笑顔で畳み掛けるように言う。
「よろしく頼んだよ、孝くん」
「え?」
二人から有無を言わさぬ笑顔で見つめられ、まさに、鳩に豆鉄砲といった感じの孝に本気で同情心が湧いた。だけど、どうしようもない。横暴さにかけては、この二人は最強なのだ。孝や俺が百人束になっても、敵うようなレベルじゃない。
助けを求めるように孝が振り返って俺を見る。
「………そういうことだ」
その戸惑いに満ちた目を友として真っ直ぐ受け止めてやりながら、諦観と共に、俺は静かに微笑んでやった。
「うわぁあああ! 気持ちいい!」
全開にした後部座席の窓から身を乗り出すようにして、三月のまだ少し冷たい風に、フィーがはしゃいだ声をあげる。
その隣で、勢いよく車内に吹き込んでくる風に、少し困ったように髪を押さえながら理沙ちゃんが口を開いた。
「顔を出したら危ないよ、フィーちゃん。それよりお菓子食べない? 私、沢山持ってきたんだけど」
「食べる!」
風で捲れ上がった前髪もそのままに、即答で両手を差し出すフィーをバックミラーで見ながら、腹の底から溜息が出た。 「フィー。お前、少しは遠慮というものを知れ。そして窓を閉めろ」
「えええ」
「えええじゃない! 少しは他の人の迷惑も考えろ」
「いいよ、閉めなくて。寒くないし。はい、フィーちゃん、どうぞ。いっぱい食べてね」
「わーい、ありがとう!」
不服そうに俺を睨んだのも束の間、理沙ちゃんの言葉にころっと態度を変えて、フィーが見た目年齢に相応しい無邪気な笑顔を向ける。まあ、外面がいいというか、何というか。普段俺には、そんなふうに可愛く笑うことも、ましてやありがとうなんて言葉すら全くないくせに、何なんだ、この態度の差は。大体、口じゃ出会いの幅がなんちゃらとか尤もらしいことを言っていたけど、本当のところはただ単にドライブに行きたかっただけじゃないのか、こいつ。早速お菓子を大量に頬張って、流れる景色を満喫するがごとく窓にへばりついている姿に、そんな確信に近い疑心さえ浮かんでくる。
「でも、真生にクォーターの又従妹がいたなんて知らなかったな」
ご機嫌なフィーを横目に、孝が感慨深げに言う。ちなみに、孝はちゃっかり理沙ちゃんの隣の席を陣取っていて、さっきからフィーに負けず劣らず、終始笑顔だ。運転代わる気ゼロだろう、お前。という突っ込みは、あえてしないでやった。
「俺も知らなかったよ」
「は?」
「なんでもない」
きょとんとする孝にぶっきらぼうにそう答えて、ハンドルを右に切って車線変更した。
生憎、皐月さんの愛車には、ナビという有難い文明の機器はついていないものの、今日の目的地は結構有名な国立公園なので、俺も道順くらいは分かる。土曜日だからちょっと心配だったけど、幸い道はそんなに混んでない。この分だと予定通り、昼頃には着くだろう。
順調な車の流れに安心し、ふと、静かな助手席が気になった。
ちらりと窺うように目だけを向ければ、理沙ちゃんの友達の彩乃ちゃんが、俯き加減でじっと塞ぎこんでいる。
待ち合わせ場所で初めて会ったときは、気さくで明るい子っていう印象を受けたんだけど、意外に人見知りするタイプだったのかな。それとも車に酔ったとか? だとしたら、どっかで車停めて休んだほうがいいかな。
「大丈夫? もしかして酔った?」
「えっ?」
気遣ってかけた言葉に彩乃ちゃんは、はっと我に返ったように驚いた顔で振り向く。
全く関係ないけど、理沙ちゃんは俺の予想をいい意味で裏切ってくれた。目が覚めるような美人ってわけじゃないけど、彩乃ちゃんは、なかなか可愛い。特に、笑うとちょっと見える八重歯が、俺的にはポイントが高い。
「どっかで車停めて、休憩しようか?」
「あ。違うの、大丈夫。ごめん、ちょっとぼーっとしちゃって」
その八重歯を覗かせながら、彩乃ちゃんが手を小さく横に振って慌てて弁解する。女の子らしいその仕草も笑い顔も、文句なしで可愛いと思うけど、どこか無理しているように見えるのは、俺の気のせいだろうか。本当は具合が悪いけど遠慮して言い出せないとか、そんなんじゃないだろうな。
そう勘ぐった矢先、彩乃ちゃんがハンドルを握る俺の左手に目をやって、徐に明るい声を出した。
「わ、素敵な指輪だね。もしかしてそれって、サファイア?」
「あ、いや、これは………」
水の精霊さんが宿った石なんだ。なんて、まさか言えるわけもない。曖昧に濁す俺を軽く無視して、後ろで理沙ちゃんが声をあげる。
「サファイアといえば、フィーちゃんの目も、サファイアみたいな綺麗な青だよね」
「あ、俺も思った。なんか吸い込まれそうって言うか、すげぇ綺麗だよね」
理沙ちゃんと孝から口々に言われ、フィーがお菓子で口を一杯にしながら、見るからに嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ありがとう。私の自慢なんだ。彼が、世界で一番好きな色だって言ってくれたから」
「へえ、フィーちゃん、彼氏がいるんだ?」
「フィーちゃん可愛いもん、そりゃあ彼氏くらいいるよね~」
「ふふっ。彼氏というかおっ…、」
「げぇっほ、げっほげほげほげほげほっごほっごほっ!」
慌てて咳きで、フィーの言葉を掻き消した。
無理やりわざと大きく咳き込んだせいで、喉が真面目に痛い。
「おー、大丈夫か、真生。どうした、突然」
「真生くん、大丈夫? お茶飲む?」
「ありがと、大丈夫。ごめん」
突然の咳き込みに驚いて心配してくる孝達に、多少引きつりながらも笑って場を誤魔化す。その後で、あんまり余計なこと言うな。と、釘を刺すつもりでバックミラー越しにぎろりとフィーを睨んでみたものの、フィー相手に俺の睨みなんかが効力を発するわけがなかった。釘を刺すどころか逆に、「何だ貴様」と言わんばかりに強く睨み返され撃沈した。ほんっと、可愛くない。
きゃいきゃいと会話に花を咲かせている後部座席とは裏腹に、横の彩乃ちゃんはやっぱり、どこか元気がないように思う。
笑うと凄く可愛いのに。何かあったのかなとも思うけど、もし複雑な事情とかあったら、さっき会ったばかりのやつにそんなこと話しにくいだろうし。
とか考えていたら、後ろから理沙ちゃんが、にょきっとお菓子を出してきた。
「真生くんも、良かったら食べない?」
「ああ、うん。ありがとう」
片手でそれを受け取った俺に、いえいえ。と、言いながら、そのまま理沙ちゃんが助手席に顔を向ける。
「彩乃は? あ、そだ。彩乃の好きな苺のやつもあるよ。………彩乃?」
なかなか返事を返さない彩乃ちゃんの肩を理沙ちゃんが軽く叩く。と、夢から覚めたように、彩乃ちゃんがビクッと小さく跳ねた。
「えっ? ……ああ、ごめん。食べる。ありがと」
慌てて振り向きながら、彩乃ちゃんが取り繕うように笑ってお菓子を受け取る。その様子に、孝も俺と同じことを思ったのだろう、後ろから心配げに彩乃ちゃんを見た。
「彩乃ちゃん、どうかしたの? 何か元気なくない? もしかして具合悪い?」
「そんなことないよ、元気だよ」
孝の言葉に、彩乃ちゃんは笑顔でそう返すけど、その笑顔はやっぱりどこか無理しているように感じる。いや、無理をしているというより、上の空といったほうが正しいかもしれない。表情にも言葉にも、気持ちが伴っていないように思えるのだ。
そんな、何となく釈然としない空気を具体化したような沈黙が車内に降りて、その沈黙を振り切るように、理沙ちゃんが思い切りよく口を開いた。
「あのね、実は」
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