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 私はコーヒーを淹れながら、ちらりとそちらを見て返す。

「まあ、ちょっと、そう思わないこともないですけど」

 私の素直な言葉に少佐は、なかなか複雑な顔をした。どうやら、まったくの不本意というわけでもないらしい。

 こぽこぽと音を立てて、コーヒーの香りが湯気と共に立ち昇る。

「でもまあ、いいんじゃないですか。それが少佐のアイデンティティってことで。それに少佐が今更、普通の男の人みたいに気を使って優しいこと言い出したら、それはそれで怖いですし」

 口調も投げやりにそう続ければ、すぐに不機嫌そうな声が返ってきた。

「おい、どういう意味だ、それは」

「そういう意味です」

 苦い顔をする少佐に、さらりとそう返して、淹れたてのコーヒーを運ぶ。少佐の分と、ボルト軍曹の分と、頼まれてはいないけど、この場にいるのでグリン君の分も。

「ありがとう」

 カップを受け取りながら、笑顔でそう言ってくれるのは、当然ながらボルト軍曹とグリン君の二人だ。少佐は今日に限らず、大抵いつも無言で受け取るか、無愛想に、悪ィ。と、呟くか、それくらいだ。

 けれど私は、少佐が私の淹れたコーヒーを飲む時、いつも満足そうに、少しだけ眉間の皺を緩めることを知っている。それで充分だ。それだけで私は、次も美味しいコーヒーを淹れてあげようと心から思えてしまうのだから。

 

 コーヒーのいい香りが漂う中、談笑するボルト軍曹やグリン君に笑って相槌を打ちつつ、傍らで夜食を作る。その合間合間に極力自然な形でちょびっとだけ、黙ってコーヒーを飲んでいる少佐を見つめては、私はそんなことを考えていた。だから、私が少佐の視線に気づくまで、そんなに時間はかからなかったと思う。

 ふと手元から視線を外すと、少佐がこちらを見ていた。その時私は本当にただ何気なく顔を上げただけだったので、いきなり少佐と目が合って、かなり無防備に驚いてしまった。

「何ですか?」

 どぎまぎしているのに気づかれないよう、細心の注意を払って私は訊いた。ボルト軍曹とグリン君は、奥様がこれまでに生み出した毒創料理の話題で盛り上がっていた。

 少佐はすぐには何も言わず、顔をこちらに向けたまま、目だけを逸らす。何か迷うように、伏せた視線が小さく彷徨う。

「どうかしました?」

 妙に空気がぎこちない。私は小さく首を傾げた。

「………あのよ」

 やや間を置いて、少佐は重そうに口を開いた。考え考えといった具合に、ゆっくりとその唇が動く。

「…お前……」

「はい?」

 少佐の重い口を少しでも軽くしようと、私は努めて明るく言った。少佐の目が私を見る。意を決したように、真っ直ぐと。

 私は包丁を持つ手に知らず知らずのうちに力を入れて、少佐の言葉を待った。重なった視線に否応なしに、どくんどくんと鼓動が早まる。

 けれど、それも束の間。真っ直ぐ私に向けられていた少佐の目は、ふいと横に逸らされてしまった。

「いや、何でもない」

「ちょっと何ですか、もう」

 なまじ構えていただけに、がくりときて、私はぼやいた。

「言いかけてやめないでくださいよ、気になるじゃないですか」

「何でもねェつってんだろ」

 面倒くさそうにそう言って、少佐はコーヒーをぐびっと飲む。私は恨めしげに口を尖らせてみたものの、少佐の視線はコーヒーカップに注がれていて、もう顔すらこちらに向けていない。どこか不機嫌そうなその顔に、私はもう一度、もう。と、心の中だけでぼやいた。

「少佐、この前から何か変ですよ? 何かあったんじゃないですか?」

 三角に切り終えたパンに、ぶすり、ぶすりと、楊枝を刺しながら言う。少佐は、換気扇の下の調理台に凭れかかって、懐から煙草を取り出していた。

「一昨日私が休暇のお願いに行った時も、様子がおかしかったですし。何かあるなら、ちゃんとはっきり言ってください」

 少佐らしくもない。最後にそう言って、私は顔を上げた。すると少佐は、煙草を銜えた口を歪めて、まるで不貞腐れた子供のような顔をしていたのだ。

 思わず、目が丸くなる。

 チッ、と、小さな舌打ちが耳に届いて、その舌打ちを隠すように、少佐が顔ごと他所を向く。

「別に何もねェよ」

 そう、煙草の煙と一緒にぼそりと吐き捨てて、少佐は完全に黙ってしまった。

 その耳の淵が微かに、本当に微かにだけれど、ぼんやり赤い。

 見間違いではない。こんなに明々とした電気の下で、見間違うはずがない。

 

 少佐のその表情には見覚えがあった。あれは、夏だった。夏の夜特有のもわんとした蒸れた空気。手にはアイスクリームと缶コーヒーがあった。あの時、私の隣で少佐は、今と同じ表情を浮かべていた。

 

 え。なんで。どうして。

 私は、見開いた目を、ぱちくりさせた。せずにはいられなかった。

 ぐるぐると忙しくなく、思考が絡まっていく。

 

 しかし、そのぐるぐるに絡まった思考の糸を解くヒントすら見つけることも出来ないうちに、哀しいかな、私はすべてを中断せざるを得なくなった。

「リサちゃん、これ、美味いよ」

 えっ。と、そちらを向けば、口をもごもごさせながら、ボルト軍曹とグリン君が、クラブハウスサンドを片手に、美味い美味い。と、頷き合っていた。はっとしてよく見ると、先に作り終えていたサンドの姿は綺麗さっぱり消えていて、皿の上には楊枝が寂しく転がっているだけになっていた。

「ちょ、何全部食べちゃってるんですか!」

 これは夜勤組みの夜食なんですから。口調も慌しく、私はまだ辛うじて手つかずで残っている皿を慌てて奪い去る。

「えー、いいじゃん。もうちょっとくらい」

「二皿も食べておいて、何がもうちょっとですか」

「リサちゃんのケチー」

「ケチで結構です。大体、二人とも夕食三回もお代わりしてたでしょう。お腹壊しますよ」

 未練がましく皿の上のサンドに目をやるボルト軍曹とグリン君に、肩を軽く怒らせて、ビシッと言う。まるでお母さんだ。自分の恋路にゆっくり浸っている暇もありゃしない。こんな大きな子供を生んだ覚えはとんとないというのに。

 わあわあと言葉の応酬をしている私達の後ろで、少佐はコーヒー片手に黙って煙草を燻らせていた。途中、ボルト軍曹が何か同意を求めて少佐を見て、私も振り返って少佐を見たけれど、その時にはもう少佐はいつもの、無愛想な顔に戻っていて。

「喧しい! コーヒーくらい静かに飲ませろ!」

 眉間を寄せてそう怒鳴る姿には、ぼんやりと赤く染まっていた耳の、その残像すらなかった。

 だから、私はそれ以上、あの表情の真意を探ることが出来なかった。

 そしてそのまま、私はその夜を、いつも通りに終えてしまったのだった。

 

 

 それからの数週間、補佐としての毎日の仕事は勿論のこと、ブライダルシャワーの準備に追われて、私の生活は多忙を極めた。まさに、忙しさと慌しさの中で、気がつけば、一日が終わってしまっているという感覚だった。

 そんな日々の中、私と少佐は、長く言葉を交わす機会も特になければ、顔を合わせる機会もそんなになかった。

 あの時、少佐が言いかけてやめたことが何なのか、とか。

 あの日、隊長室で見せたおかしな様子の理由、とか。

 他にも気になることは、それこそ山のようにあったけれど、結局そのどれも、私は知ることが叶わないまま、時間だけが流れた。

 

 季節はいつのまにか、冬を迎えていた。

 

 

 

 

『midnight coffee』――END――

(2012/01/04)

 

(→12.「WHITE BREATH」を読む)

 

 

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~ 少佐と私。~

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