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【 06 】 - 2

 

「無論そうだ。お主が実際に会っただけでも、私やシシィ、あの樹霊に火の童、皆それぞれ違うであろう? 見た目だけでなく、考え方や感じ方も。人間であろうと神であろうと精霊であろうと皆それぞれで、己と全く同じものなどこの星にはひとつも存在せぬ」

 フィーはやっぱり小さく笑いながらそう言うと、笑んだ口元もそのままに続けた。

「だからこそ、この星は今日までこうして保たれてきたとも言える。我らは皆、全であると同時に一だ。一があるからこそ全が成り立ち、全があるからこそ一がある。一を蔑ろにしては全は生まれない。逆もまた然り。この星はそうやって巡ってきた。この星自体、全であり一でもあるのだ」

「…全と一か……」

 静かな口調で言い切ったフィーに倣って、俺もまた静かに呟いた。

 俺達はこの星で生きているという意味合いでは、みんな全で。だけど、人間とか精霊とかいう区別よりもっと細かい意味で、それぞれが一で。だからこそ、一人ひとり考え方や感じ方も違えば、個性も生まれる。それは言われてしまえば、とても当たり前のことだ。

 俺には俺の考え方があるように、シシィにはシシィの考え方がある。フィーが言ったように、自分と何から何まで全く同じなんて相手は存在しなくて、だから俺には、シシィの考えを正確に理解することは出来ない。だけど分からないからって、自分本位で一方的に批判したり責めたりするのは、きっと正しいことじゃない。自分と違う理解出来ないと、それだけで相手を責めていたら、それこそ自分以外の人全員を責めなきゃいけなくなるし、それはあまりに身勝手で傲慢なことだ。それくらいは、俺にも分かる。

 だけど、シシィが本当にフィーに暗示をかけている側の人で、監視のために今この場にいるのだとして、それがシシィの考えに基づく行動であるなら、俺がそれに対して意見したり悲しく思ったりすること、それすらも、俺の身勝手ということになるのだろうか……。

 

 考え込んで自ずと顔を下げた俺とは逆に、フィーがふと、顔を上にむけた。その唐突な動作に、俺もまた顔をあげ、フィーの視線の先、天井を見る。

「シシィが、嫦娥を怒らせよった」

「えっ」

 天井を向いたまま眉間に小さく皺を寄せて言うフィーに、思わず声と顔を向ける。フィーは視線を下げて戻しながら、ぼやくように首を振った。

「あれは何故ああいつも、誰に対しても喧嘩腰で向かうのだ。もそっと穏便という言葉を教えねばならぬなあ」

「大丈夫なの?」

「問題ない。いくら嫦娥が怒り狂おうと、シシィのほうが遥かに強い。シシィの瞬きひとつで、嫦娥は消え去りかねぬ。人間で例えるなら、戦士と生まれたての赤ん坊くらいに差がある」

 訊いた俺にはっきりと答えつつ、フィーが少し背筋を伸ばしてこっちを見る。

「誘いの神の件はこれで片がつこう。今後は更に、レネ探しに集中するぞ」

 強い口調同様、意志の強そうな目でそう言って、フィーは視線を俺から指輪へと向けた。

「早くレネを見つけねば。私にも果たさねばならぬ義務がある。いつまでも己のことだけに時間を費やしてはおれぬ」

「精気の浄化のこと?」

 どことなく厳しい語気を耳に、思ったまま尋ねる。そのまま、つられて指輪に向けていた目線をフィーに向ければ、フィーはじっと指輪を見たまま声だけを返した。

「私は愚かさゆえに穢れになり、無限の精気を失った。可能なうちに出来る限りを尽くさねば。そのためにはまず、何が何でもレネを見つけ出さねばならぬ。私の魂を救えるはレネ一人。穢れが清まれば、私はこの魂を大いなるものに返すことが出来る」

「え?」

 思わず、その顔を無防備に真っ直ぐ見たまま、俺はぽかんとした。

「大いなるものに返すって。なに、お前。レネに会えたら、魂手放すつもりなの?」

 予想していなかった話に、頭の回線がうまく繋がらない。だって確か、魂を手放すってことは……。

 戸惑う俺を余所に、フィーは言葉を続けていく。

「それが一番良いのだ。私は魂を持つに相応しくない。夢見た私が愚かだったのだ。幸い私は精体ゆえ、魂を失っても精気が尽きるまでは存在できる。浄化も可能な限りしてみせる」

 指輪を見つめ、まるで自分に誓うように力強く言い切ったフィーを前に、俺はまだ戸惑いから抜け出せずにいた。そんな俺の視線に気づいたのだろう、フィーが指輪から目をあげて、俺を見る。

 無防備に繋げてしまった視線の先の青い目に、いつものごとく湧き出てくる嫌な罪悪感。それを飲み込みながら、俺は戸惑いをそのままフィーにぶつけた。

「でも、魂を失くしたらお前、レネのこと忘れるって言ってなかった?」

 精霊が魂を得るということは、その記憶を大いなるものの一部とすること。そう、フィーは言ったはずだ。だから魂を失いたくなかったと、レネを忘れるくらいなら自分も消えてしまいたかったと、そう話していた。それなのに。

「好きだから、会いたいんじゃなかったのかよ? 穢れさえ綺麗にしてもらったら、もうそれでレネに用はないわけ? レネのこと好きなんじゃなかったのかよ、なんだよそれ」

 勿論、フィーが穢れになった魂を元に戻したいと願っていることは知っている。そのためにレネが必要なことも。だけど、そんなこと以前に、フィーはレネが好きで、一緒にいたくて、だから必死になって探しているのだと思っていた。そう、信じていた。そうだ、俺はフィーのレネに対する思いの強さを、ずっと信じてきたのだ。

 なのにフィーは、好きで一緒にいたいどころか、永遠に相手を忘れる選択をする気でずっといたのか? レネ以外は愛さないとか、レネが一番美しく心に映るとか、あんなに言っていたくせに。

 すぐにはまとまった言葉に出来ない感情が、頭の中でぐるぐる回る。訳の分からない罪悪感も相俟って、ごちゃごちゃだ。目を逸らすべきだと分かっているのに、目が、フィーを真っ直ぐ見たまま動こうとしない。

 フィーは、そんな俺の心の内を見透かすように、じっと俺に青い目を向けていた。その口が、硬さを伴ったきっぱりとした声を吐く。

「傍にいることだけが、愛ではない。相手の幸せを願い身を引くことも、また愛だ。本来なら、八百年前に気づくべきでことであったのだ」

 私は本当に愚かだ。そう、ぽつりと付け足された言葉も、硬い表情も、ぐるぐる回る感情としつこい罪悪感のせいで、きちんと頭に入ってこなかった。知らず知らずのうちに握り締めていた手に、力が入り過ぎて爪が刺さる。

「そんなの、レネがかわいそうじゃんか。そんな、利用するだけして捨てるみたいな。レネの気持ちはどうなるんだよ」

 俺がレネだと決まったわけじゃない。分かっているけど。俺がレネなら、そんなの我慢できない。そんなのあまりに一方的過ぎる。

 それがフィーの考えで、それに俺が意見することが俺の身勝手なら、フィーの考えだって、俺に対して充分身勝手だ。

「真に愛し合う魂はどうたらこうたらって偉そうに言ってただろ。今のレネだって、お前に会って前世ってやつを思い出せばまた昔みたいにお前を好きになるかもしれないのに、それを」

「私がレネを忘れるように、レネも私を忘れる」

 俄かに激昂しかけた俺の言葉を、フィーが静かな声で遮った。

「前世で私を愛した記憶も今世で再び出会えた記憶も、レネの魂には残らぬ。傷も痛みも、すべて無に、最初からなかったものに戻るだけ。そのほうが、レネは幸せに生きられる」

 まるで子供に言って聞かすように、フィーは優しく俺を見て口を動かす。その口調も表情も至って冷静で穏やかで、口元には微かに笑みさえ浮かんでいる。だけど。

「レネは人間だ。人間は、人間を愛し人間の環の中にあるのが一番幸せなのだ。私はたとえ魂を得ても、どうしたって絶対に、人間にはなれぬ」

 透き通るようなその青い目だけは、どうしてだか異様に、哀しげに見えた。

 

 

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