【 05 】 - 2
「シシィ」
嗜めるフィーを無視して、シシィは突き刺すような目を俺に向けてくる。
「同じ人の子が相手なら、境遇が違っても思いやることが当たり前みたいに出来るくせに。オレはさあ、銀の姫とは違うからさあ。たまに本気で、人の子なんて一人残らずいなくなればいいと思うよ。お前らは、害獣だ。オレにそう出来る力があるなら、喜んで今すぐまとめて駆除するね。お前ら以外はみんな大なり小なり、お前らのせいで苦しんでるのに。いずれお前らも、お前ら自身のせいで苦しむのに。それならいっそ、もういなくていいだろ。お前らさえいなければ、」
「シシィ!」
止まらない声を、フィーが一際厳しい声で掻き消した。そのまま、叱るようにシシィを見ながら言う。
「先ほど真生も言うたであろう。己のために、他の頑張りを無にしてはならぬ。人間は人間なりに頑張って種を繋ぎ、ここまで繁栄してきたのだ。そもそも、この星に属するすべてを慈しみ育てることが、我らが母より託された本能。ならば、今のこの有り様とて我らの愛情の結果だ。思い通りにいかぬからと背を向けても何も変わらぬ」
強くはっきり言うフィーに、シシィが不満と怒りで彩られた尖った目を無言で向ける。何かとよく喧嘩をしている二人だけど、シシィがフィーに対して、これほどに鋭い目を向けるのは初めて見た。
フィーは怯むことなくシシィを真っ向から見据えながら、更に強い声で続ける。
「どの口が偉そうにと言いたいのであろう? だがこれは、私だからこそ言えること。いかに辛くとも、弱さに逃げて己の道を見失ってはならぬ。そなたは私よりも賢いはずだ。感情を履き間違えて、己が心を見誤るな」
きっぱりと厳しく、フィーが言い切る。威厳すら感じる堂々としたその面持ち。シシィは歯を食いしばるような表情で、黙ってフィーを見ていた。その目が、無言のまま苦そうに狭められる。
一方俺は、石のように沈黙して、そんな二人をただ見ていた。本当は今、俺こそシシィに何か言わなきゃいけないのだろうけど、言える言葉が何一つ浮かばない。アオ達も、俺に気を使ってか、はたまた雰囲気に気圧されたのか、じっと動くことなく黙っている。
推し量るような沈黙が部屋に広がり、視線の先で不意にシシィが、苦さに負けたように、ぐいっと目を閉じ顔を背けた。そして次の瞬間、それこそ瞬きをする間もなく、そのままシシィは姿を消してしまった。何も、一言も言わずに。
シシィが去ったことで急に空になったスペースに、気がかりさだけが残る。もう俺のところには来てくれないんじゃないかという心配は勿論だけど、それ以上に、気持ちがざわざわして落ち着かない。何も言えなかった後ろめたさなのかもしれない。だけど、何を言えば良かったのだろう。害獣とまで言われて、なのに、それを否定する言葉も浮かばなかったのに。
落ち着かない俺を余所に、フィーはゆっくりと深く息を吐いた。小さく肩を竦めて、困ったような顔をこっちに向ける。
「すまぬな、真生。シシィとて、本当は分かっておるのだ。ただ、あれはああ見えて、私より情が深く一途ゆえ。かけてきた愛情の強さだけ、悔しさもまた強いのであろう。無論、だからとてお主に苛立ちをぶつけて良い道理はないが。どうか私に免じて許してやってくれ」
「……許すも何も、別に怒ってないよ。むしろ俺が怒らせちゃったわけだし。……なんか、ごめんな」
その顔を前に、やや俯きがちになって言えば、フィーはからりとした声で笑った。
「お主が謝ることはない。あれは単なる子供の癇癪だ。本当に呆れるくらい私によう似ておるなあ、シシィは。まあ、私が育てたようなものゆえ、仕方ないが」
「だけど、その癇癪の元は、人間なんだろ……」
明るく乾いたフィーの声とは逆に、俺はじとりとした声を返す。フィーは小さく微笑むと、やんわりと首を横に振った。
「人間だけに責があるわけではない。これは誰の責任でもなければ、誰の責任でもあるのだ。この星は元来そういうものゆえ。それはシシィも分かっておる。咄嗟に向ける言葉が浮かばなかったからとて、お主一人が必要以上に胸を痛めることはない」
柔らかい口調で言い聞かすように言い、フィーが表情を変え、またからからと明るく笑う。
「大丈夫。心配せずとも、何もなかったようにすぐまた顔を出そう。賭けてもよいぞ。あれはお主を気に入っておるしな」
どうやら、俺の胸の内は殆ど見透かされているらしい。励ますように明るく言い放ち、フィーは俺を見ながらゆっくり言葉を続けた。
「それで、先ほどの話だが」
「さっきの話?」
「バイト先の雨漏りの件に纏わる話だ」
さっきとは反対に、一瞬きょとんとした俺に、フィーがはっきり答えた。忘れていたわけじゃないけど、シシィのことでちょっと頭の隅に追いやっていた。ああ。と、思い返しフィーを見れば、フィーは少し姿勢を正してから口を開いた。
「お主の気持ちは、よう分かった。その上で侘びを言う。私が軽率であった。今後は、極力気をつけると約束する」
真面目なその声に、俺も真面目に頷いてみせる。それを見届け、フィーはフィーで頷くと、真面目な口調のまま続ける。
「私は現代の人間の、社会における繋がり方や経済の仕組みには聊か疎いが、人間の逞しさならよう知っておるし、お主を何も出来ぬ幼子などと思ってはおらぬ。確かに生きた年数は幼いが、それでもお主はたまに、とても正しいことを言って私を驚かす。私はお主のそういうところを、そういうふうにお主を育てた皐月も含めて、好ましく思い尊敬もしている。本当だ。そこは信じてほしい」
「うん」
「だが、そういう認識とは別のところで、私は何故かお主のこととなると、つい、必要以上に気負ってしまうところがある」
「え?」
「お主は指輪の所有者ゆえ、その身を守るは私としては当然だし、精あるものは、花だろうと人だろうと分け隔てなく我が子のように可愛い。だが、そういう感情とはまた別の感情が、お主を見ていると湧いてくる。変な話だが、叶うならお主をこの世の全てから守ってやりたいとまで、時に本気で思う。お主は私にそこまでされなくてはならぬほど、弱くもなければ愚かでもないと頭では分かっておるのだが、心がどうも言うことを聞かぬのだ。ゆえに今後も、無論極力気をつけはするが、行き過ぎた真似をしてしまうことがあるやもしれぬ。その時にはどうか、忌憚なく教えて欲しい。私は間違っても、お主を駄目な人間になどしたくはないゆえ」
皐月に申し訳がないでな。酷く真面目な顔でそう付け足したフィーに、俺は頷き返すことも忘れて、自分の困惑を真っ直ぐぶつけた。
「なんで? なんでそこまで。気持ちは有り難いけど、でも、なんでそこまで思ってくれるの? 俺はただの所有者だろ?」
「何故だろうな。私にもよく分からぬ」
俺の困惑や、頭の奥に潜む馬鹿げた推測など知りもしないで、フィーはあっけらかんと答えた。そうしてから、少し考えるように視線を沈ませ、その口元に微かな含み笑いを浮かべた。
「だが恐らく、お主が私の理想に近いからであろう。いや、理想というより憧れか」
「憧れ?」
「私がこうであってほしいと願う、今のレネのあり方だ」
沈ませていた視線を上げたフィーが、微笑んだ目に柔らかく俺を映しながら言う。その言葉には勿論、微妙にはにかんだような、どこか寂しそうにも見える笑い顔にも、俺は一瞬思考を停止させて、そこからまた激しく脳を動かしだした。
俺はやっぱり、そうなんじゃないだろうか。否定してもしても、湧き出てくるその考えに、自分自身酷く戸惑っているのが分かる。
フィーはそんなことは露も知らずに、はにかみつつ、一人続ける。
「それゆえにきっと、今度こそレネを守りたいと願う気持ちを、自分でも知らぬうちにそのままお主に強く被せてしまっておるのだろうと思う。お主とレネは何の関係もないというのになあ」
苦笑するように言って、フィーが俺の顔を見、表情から何か感じたのだろう。茶化した声で、でも釘を刺すように言って寄越す。
「ああ、言っておくが顔の造りの話ではないぞ。レネは恐らく、お主よりもっとずっとハンサムだ」
「……会ったこともないくせに」
「会わずとも分かる。レネの魂は類を見ぬほど美しい。美しい魂は、美しい肉体を形成するものだ。それにもし万が一そうでなかったとしても、私の心には、レネが一番美しく映る。というより、レネしか映らぬ」
涼しげな顔で、あっさりときっぱり言ってのけたフィーに、何を思えばいいのかよく分からない。
もし仮に、フィーが今俺に抱いている守りたい云々の感情は、暗示によって忘れている俺への、愛だの恋だのいう感情が無意識に湧き出てしまっているからだとすれば、俺はやっぱり、レネだということになる。だとしたら、いずれフィーは俺を好きになるのだろうか。昔、レネを好きになった時みたいに。そして俺もいずれは、フィーを特別な意味で好きになるのだろうか。それこそ、レネだった頃みたいに。全然、覚えていないけど。
だけど、全く覚えてないという点では、フィーも同じだ。暗示のせいで、フィーは俺が誰だか分からない。本当に俺がレネだとしたら、なんでそんなことをする必要があるのだろう。『来るべき時』とやらのために、俺達二人に一緒にいてほしいなら、なんでそんな大事なことを忘れさせる? フィーが、何でか知らないけど、俺を守るために消えようとするから? 大体なんで、俺を守ること、イコール、消えることになるんだ。どういう思考回路だ、それは。大事で守りたいなら、ちゃんと生きて、今みたいにずっと傍にいればいいだろう。そんな自己犠牲精神で愛されても、全然嬉しくない。俺は、自分のためにも他の人のためにも、しぶとく生きようと頑張る人が好きだ。
「何を一人で、不貞腐れたような顔をしておるのだ」
頭の中でぶつぶつと不満に考えていたことが、知らず知らず顔に出ていたらしい。気がつけば、フィーがやや首を傾げて覗き込むようにこっちを見ていた。
「レネのほうがハンサムだと言ったのがショックだったか? そう気に病むな。レネに敵わずとも別に死ぬわけではなし、それに私は違うが、世の中にはお主の顔をハンサムだと真剣に思ってくれる奇特な人間もきっと、」
「んなこと、どうでもいいわ」
半分茶化しながらも大真面目な顔で慰めに入ったフィーを、呆れと一緒に一蹴する。少し疲れて、肘を突くべく卓袱台に置いていた手を動かせば、アオ達が、ひゃー。とはしゃぎながら、俺の手から卓袱台の上に落ちていった。それを何とはなしに見つつ、頬杖をついて、なるべくフィーを見ずに口だけ動かす。
「お前さ、レネが見つかったら、どうするの? 魂の穢れを払って、それから後」
俺のこともフィーのこともレネのことも、分からないことだらけながら、今現在分かっているのは、フィーも俺も互いが好きだけど、それは互いに愛とか恋とかじゃないということ。それだけははっきりしているはずなのに、それでも何だか、何となく、フィーを見ては訊けなかった。
「レネと一緒に暮らして、そんでその、また、その、結婚したいの、レネと?」
別に俺とのことを言っているわけではない。そう分かっているのに、妙な気恥ずかしさで、訊く声がやや躊躇いがちになってしまう。
そんな俺の躊躇など気にも留めず、フィーはこっちを見たまま、ふっと小さく笑うように息を吐いた。それからゆっくりと、どこかしみじみした声で言葉を返す。
「もし今のレネが私の願い通り、お主のようであったなら。私と再会したその記憶ごと、私は一切、今のレネの記憶から姿を消そう」
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