【 04 】 - 2
「え……。てことは、じゃあ、あいつらがこの家にいる限り、俺はこの家から出られないってこと…?」
フィーがここを離れられないということは、つまり、そういうことだ。フィーは俺から離れられないのだから。
「この家を失いたくなければ、そうする他ない」
「マジかよ…。……それって、いつまで?」
家を焼かれるのは困る。困るなんてもんじゃなく困る。ここは俺が育った家で、俺の両親がいた家で……。そう、櫛だってまだ見つけてないし、何よりここは、皐月さんが帰ってくる場所だ。絶対、守りぬかなきゃいけない。だけど、だからって、この家からずっと一歩も出ないというわけにもいかない。
俺の切実な問いに対し、フィーもまた切実な顔で、考え考え言葉を返す。
「先ほども言うたが、道理を説いて聞かせて容易に理解してくれるような相手ではない。しかも生憎と私もシシィも、あやつらとは相性が良くない。無論、努力はするが、いつまでとはっきりは言えぬ」
「そんな…! 困るよ、俺、学校あるし、バイトだってあるのに」
フィーのせいじゃないと分かっているのに、焦りからか脅えからか、つい責めるような口調になってしまう。フィーは正面からそれを受けながら、きっぱりとした声を返した。
「バイトのことなら案ずることはない。今頃、それどころではなくなっておる。じきに、暫く休んでいいという連絡がくるはずだ」
「はっ?」
思わぬ言葉に、眉間に皺が寄った。嫌な予感に自ずと顔が硬くなる。
「ちょっと待てよ、お前。何したの? 俺のバイト先に」
「心配いらぬ。ちょっと店の雨漏りを全面的に強化しただけだ。多少商品はだめになるだろうが、人間に害はない」
「はあっ? 何を、お前……。マジで何してんだ、店の商品だめにするなんて。大体、雨漏りって、今日雨降ってないのに…」
「天気など関係ない。私は水の姫ぞ」
俺の驚愕も困惑も知らず、フィーは何食わぬ顔で言う。その飄々とした表情に、唖然というか、呆然としてしまう。
本当に何をしてくれているんだ、こいつは。そんなことをして、どれだけの人に迷惑がかかるか。それを少しは考えないのだろうか。
………いや、考えるわけがない。考えてもいないんだ、そんなこと。
フィーにとっては人間なんて結局、死にさえしなければそれで良くて、その他のこと、一人一人の事情とか感情とかは、どうでもいいことなんだ。
頭のどこかで小さく、仕方がないと思いつつも、俺は不愉快さがむかむかと胸の奥を刺激するのを抑え切れなかった。
「馬鹿か、お前。水の姫だか何だか知らねえけどな、雨漏り強化とかふざけたことする暇あったら、さっさとあの性質悪い放火魔どもをうちから追い出せばいいだろ!」
「そうだよ。お前なら、あいつらを結界の外に弾き出すことくらい簡単じゃん。なんでわざわざ結界の中に閉じ込めてるんだよ。さっさと追い払って、あんなやつらとはおさらばしようぜ」
感情のまま声を荒げた俺に同調するように、シシィが横から口を挟む。フィーはシシィには目をやらず、俺を見ながら口を動かす。
「この家から追い払うは容易いが、その場合、他の何か、もしくは誰かが被害に遭おう。向かいの家か、隣家の庭木か、運の悪い通行人か。それでもいいと、」
「いいよいいよ。関係ないし、仕方ないじゃん。悪いのはあいつらなんだし」
「そなたには言うておらぬ! 私は真生に言うておるのだ!」
再び横から口を挟んだシシィをきっと睨みつけ、フィーが顔をまた俺へ向けた。その目が気遣うように、俺を覗きこむ。何か物言いたげな、それでいて、どこか不安げに揺れる深い青。
俺は、思わず不用意に真っ直ぐ見つめ返してしまったその青に、こみ上げてきたいつもの罪悪感をやり過ごすべく、少しだけ顔を背けた。
俺のその行動をどう取ったのか、フィーは俺を見つめたまま、僅かに語気を弱めた。
「それでいいと、お主が言うのであれば……」
さっきまでと打って変わって、自信を欠いたその口調。じっと窺がうように、俺に向けられた視線。見つめ返すことは出来なかったけど、そこにあるものを理解するには充分だった。
「……いいわけないだろ…。……ごめん、考えもなしに無責任なこと言った」
言いながら、自分の阿呆さ加減に軽く項垂れそうになる。しつこく止まない意味不明な罪悪感を無理やりやり過ごして、少しだけフィーのほうを見れば、思ったとおり、微かに安堵したような顔がそこにあった。
―――そうだ。そうなんだ。
普段忘れがちだけど、フィーは最上古精とかいう凄い精霊で。よく考えてみれば、シシィが言うように、ビー玉もどきの放火魔連中を俺から遠ざけることも、反対に俺をそいつらから遠ざけることも、その力があれば不可能じゃないはずで。
そもそもフィーにとって一番大事なのは、俺…、というか俺の手にある指輪なわけで、この家は関係ない。本当なら、危険から遠ざけるために、俺をこの家から無理やり連れ出していてもおかしくない。いや、そうするのが普通だ。それが一番手っ取り早い。
だけど、そうすると俺はこの家を失うことになる。その上、あいつらが外に出たら、今度は他の何かか誰かが、酷い目に遭う。俺はそれをシシィみたいに、関係ない仕方ないでは済ませられない。
だからフィーはわざわざ、この家に結界をはって、あいつらが外に出られないようにした。そんなことをする必要は、フィーには全くなくて、それこそ無駄な力の消費でしかないことなのに。
( 孝は遠くへ行かせたし、この家にも水の守りをかけた )
( この家を失いたくなければ、そうする他ない )
( その場合、他の何か、もしくは誰かが被害に遭おう )
全部、俺を思いやっての行動なんだ。孝やこの家を大事に思う俺の気持ち。他の何かや誰かが、代わりに酷い目に遭うのを仕方ないと思えない俺の気持ち。フィーはフィーなりに、それを思いやって、それを守ろうとしてくれたんだ。自分はそれで何の得もしないのに。ただ俺の気持ちのためだけに―――……。
( それでいいと、お主が言うのであれば…… )
いいわけがない。不安そうに自信なさげに言わなくていい。堂々と自信を持って言っていい。フィーが、俺の気持ちを考えて、俺のためにしたこと――、少なくとも孝を避難させたり、家に結界を張ったり、あいつらを外に出さないようにしたりしたことは、俺からしてみれば正しい。
一人黙々と考えながら向けた視線の先では、これからのことを考えているのだろう、フィーが腕組をして難しい顔をしていた。その横では、シシィが納得いかなそうに不満げな顔をしている。きっと、シシィには理解出来ないのだろう。義務も必要もないのに、わざわざ面倒な手段を取るフィーの行動が。
( お主の友人まで守る義務も必要も、私にはない )
つい数ヶ月前には確かに、フィーだってそう言っていたのに。………いいや。考えれてみれば、あの時だってフィーは結局自分の都合より、俺の気持ちを優先してくれた―――……。
きっと、バイト先の雨漏りの件だって、そうなのだろう。俺がこの家を失いたくないだろうと、俺のことを考えて、俺が困らないように、俺がここから出なくてもいい状況を作ろうとしたんだ。やり方が少し乱暴すぎる上に、俺のことしか考えていないけど。でもそれが、フィーなりに精一杯考えた、俺のための行動なのだろう。
「とにかくだ」
俺が考えに区切りをつけるとほぼ同時に、フィーが場を仕切るように、はっきりとした声をあげた。
「あやつらは人間の領域にいていい者らではない。大人しく話を聞いて、速やかに王の下へ帰ってくれればよいが」
言いながら、フィーはちらりとシシィを見た。その目線にシシィが、拗ねた子供のように、ぷいっと横を向く。
「オレ、パス」
態度と同じくつれないその返事に、フィーは諦めたように軽く息をついてから、ぐっと口元を引き締めた。そうしてから、その顔を体ごと、未だ階段の手摺り横で回っているビー玉もどきに向ける。
「おい、そこの童達。何故かようなところにおる? 精界の外に出るは、とうに禁止されたはずぞ?」
フィーの呼びかけに、ぐるぐる回っていたビー玉もどきが一斉にぴたりと止まった。
三匹それぞれが、おずおずとこっちを窺がうのが、どことなく、感覚というか雰囲気で分かる。
「銀の姫様?」
「姫様?」
「姫様?」
「でも、なんか変。小さい」
「小さい」
「小さい」
まるで頭をつき合わせて相談するように、三匹が集まって、こそこそ話しているのがはっきり聞こえた。実際、こそこそ話というには無理がある声量だった。フィーの耳にも、しっかり聞こえたのだろう。むっとしたような表情を浮かべ、フィーが仁王立ちするように胸を張る。
「小さくても、そなたらを踏み消せるくらいには充分大きいぞ」
「ひゃあ、ごかんべーん」
「ごかんべーん」
「ごかんべーん」
言って逃げるように、三匹が再びばらばらに動き出す。と、言っても、怖がってパニックになっている感じじゃなく、どちらかというと、きゃっきゃっと笑ってはしゃいでいるような、そんな感じだ。「ごかんべーん」と、楽しげに繰り返し、忙しなくくるくる回ったり、上下に動いたりしているその姿だけを見ると、危険極まりない放火魔達だとはとても思えない。むしろ、可愛いとすら思えてくる。
放火魔相手に絶対間違っている印象を抱く俺を余所に、フィーは小さく肩を落とし、溜息混じりに口を開く。
「何か致し方ない理由があるのであれば、私が王に取り成してやるゆえ、大人しく精界へ帰れ」
途端、またもや三匹が一斉に、ぴたりと動きを止めた。
「……だめ。帰れない」
「帰れない」
「帰れない」
はっと我に返ったように急激に声のトーンを落として、三匹が三匹とも萎れるように床に沈み込む。その唐突な変化に、戸惑いが隠せない。フィーを見れば、フィーもまた少し困惑したような顔をしていた。
恐らくシシィも、その変化を訝しく思ったのだろう。三匹を見る嫌そうな顔つきはともかく、口調はいつもどおりで、三匹に向かって声を発した。
「なんで? そんだけ動けるんだから帰れるだろ。とっとと帰れよ、お前らの大好きなあの尊大野郎のところに」
その瞬間、物凄い速さで、ビー玉もどきが一斉にシシィめがけて一直線に飛びかかった。
「風の息子は喋るな! あっちいけ!」
「あっちいけ!」
「あっちいけ!」
本当に、目にも止まらぬ速さだった。少なくとも俺の目には、光の残像しか見えなかった。俺が状況をきちんと把握した時には、赤、黄、青の三匹は口々に、「あっちいけ」と騒ぎ立てながら、まるで巣を突かれた蜂のごとく猛烈に、代わる代わるシシィに体当たりしていた。
いきなりのことに驚きながらも、助けなくてはと思う。シシィが灰にされたら大変だ。だけど、俺がその思いを行動に移すより早く、シシィが苛立った声を爆発させた。
「いい加減にしろ!! お前ら、誰のおかげで自由になれたと思ってんだっ!!」
声と一緒に発生した爆風が、シシィの周りからビー玉もどきを一斉に弾き飛ばす。その爆風の煽りを受け、襖が壊れそうな勢いでがたがた鳴って、玄関の扉は勿論、家全体が台風の時でも聞いたことのない軋みを上げた。経験したことがないその風の強さに、俺も吹き飛ばされそうになったけど、フィーが咄嗟に腕を掴んで庇ってくれたから、二、三歩よろめいただけで済んだ。
一方、飛ばされたビー玉もどき達は、三匹三様に壁や床に叩きつけられたものの、何事もなかったかのようにすぐまた三匹で集まって、左右に飛んだりくるくる回ったり上下に動いたりしだす。まるで、痛くも痒くもありませーん。と、言っているかのようなその態度に、シシィがこめかみを引き攣らせながら一人喚く。
「言っとくけど、オレがいなかったらお前ら、ずっとずーっとランプの中だったんだからな! 誰からも忘れられたまま、精気が尽きておしまいだったんだぞ! ちったあオレ様に感謝しやがれってんだ!」
「………おい、待てこら」
聞き捨てならない言葉に、俺は静かにシシィへ、ぎろりと目を向けた。よほど興奮してるのか、シシィはしつこく全身からシューシューと風を噴き出しながら肩を怒らせていたけど、俺は俺で、こめかみの辺りが引き攣る感覚に、顔全体を引き攣らせていた。
「なに、シシィ? お前のおかげなわけ? 今、この家が火事の危険に晒されて、俺が外に出られないのは」
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