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【 03 】 - 2

 

 他人の善意を断るのは難しいと、何かの映画か本で言っていたけど、本当だ。断る明確な理由が言えない分、この場合難しい。まさか、これは神様から頼まれたことで、うちの代々の家宝に関わることだから。なんて言えないし。結局、

「いいよ。悪いし」

「いいって、いいって」

 という押し問答を数回繰り返した後、孝に押し切られてしまった。

 孝にしてみれば、家の片づけを手伝うくらいの感覚なのだろう。遠慮すんなって。と、能天気に笑う顔に、俺の用事を早く片付けて連休に理沙ちゃんを誘うためという下心はあっても、俺を困らせようなんて悪気がないのは分かっている。分かっているけど、困る。その能天気な笑い顔が恨めしくなるほど、困る。

 そうと決まったら早く行こう。と、急いでうどんを食べた孝が、食堂を出るなり、ちょっとトイレ。と、傍を離れた隙に、俺はそそくさと物陰に身を潜めた。周囲に誰もいないことを確認し、指輪に向かって早口で話しかける。

「フィー。なあ、どうしよう」

「何がだ?」

 すぐさま返ってきた声に顔をあげれば、フィーがまるでずっとそこにいたかのように、前方に悠然と立っていた。こっちの困惑や焦りなど何処吹く風といった感じの暢気なその様子に、声を潜めながらも捲くし立てる。

「何がって、孝のことだよ。聞いてただろ、話」

 まさかこいつ、アジフライに夢中で、聞いてなかったんじゃないだろうな。一瞬、胸に抱いたそんな懸念は、すぐ杞憂に終わった。フィーは僅かに肩を竦めると、あっさりと言って返した。

「別に困ることはあるまい。手伝ってもらえば良いではないか」

「手伝ってもらえば良いって、でも……」

「誘いの神も、お主一人で探せと言うたわけではなし、支障はなかろう」

「でも、孝になんて説明すんだよ」

「適当にぼかして言えば良かろう。遠い親戚筋からの預かり物なのだが、どこにあるか分からないとか、なんとか」

「俺はどんだけ、遠い親戚がいるんだよ」

「そういえば、私も遠い親戚だったな。じゃあ、シシィも遠い親戚にしておくか」

「いやいや待って待って。なに? お前まさか今日、シシィ呼ぶつもりなの? 孝が来るのに?」

「呼ばずとも、あれは来るぞ。恐らく」

 焦る俺に、まるで他人事のように笑って言い、急にフィーは、見えない何かを感じ取った猫のように目を俺から離した。そして、

「孝が戻ってくるぞ」

 そう言うが早いが忽ち、ぱっと姿を消した。相変わらず、出方も消え方も唐突だ。余韻も何もない。

 それにしても、本当にシシィが来たらどうしよう。フィーと違って、シシィの辞書には配慮という言葉がない。俺のことだって未だに人の子呼ばわりだし、孝の前でだって、平気で宙に浮かんだり消えたりしかねない。最悪、フィーが俺の又従妹でも何でもないことばかりか、人間じゃないことまで孝にばらしてしまう危険性がある。

 湧き立つ新たな不安に一人、顔面蒼白状態で立ち尽くす。そんな俺の心境など知るはずもなく、トイレから戻った孝が、少し離れた場所から暢気な声を響かせた。

「真生ー? 何してんだ、そんな陰に隠れて」

「いや、ちょっと……。……あのさ、孝。お前今日、何か用事とかあったりするの忘れたりしてない…?」

「ないない」

 最後の悪足掻き、もとい、最後の望みをかけて訊くも、簡単に否定されて撃沈する。どうしよう。その言葉ばかりを頭の中でぐるぐるさせている俺を余所に、孝は颯爽と歩き出す。

「んな心配しなくていいから、とっとと行こうぜ。お前、今日バイト、何時から?」

 促されて、俺も渋々歩き出しながら答える。

「七時」

「じゃあ、あと五時間近くあるな。探し物なんかさっさと終わらせて、ゴールデンウィークの休みは、みんなで楽しく遊ぼうずえい」

 言って、孝は威勢付けるように俺の肩を叩いた。屈託のない、どこまでも能天気に明るいその顔と声。俺は殆ど諦観の境地で、腹を据えた。

 孝はいいやつだ。もし本当のことを知っても、最初は驚くだろうけど、一旦落ち着けば、その後は今までと変わりなく、フィーのことも俺のことも受け入れてくれる、はずだ。いや、きっと大丈夫だ。俺の友達は、人と違うからといって怖がったり、色眼鏡で見たりするようなやつじゃない。

 ………だけどやっぱり、衝撃を受けることは受けるだろうから、可能な限り、ばれないように努力しよう。シシィが要らないこと言おうとしたら、殴ってでも止めよう。うん、そうしよう。

 不安が消えたわけじゃないけど、気持ちが定まった分、少しだけすっきりした気分になる。と、横を歩く孝が、あ。と、思いついたようにこっちを見た。

「行く前に、電話しといたほうがいいんじゃね?」

「誰に?」

 ぽかんとする俺に、孝が当然のことを言うように答える。

「誰って、フィーちゃん。お前だけならアレだけど、俺も行くわけだし」

「え。別にいいよ」

 孝の言い分は尤もなのだろうけど、フィーはとっくに孝が同行すること承諾しているし、今現在指輪の中だ。電話なんか掛けようがない。曖昧に口篭った俺に、孝は尚も言ってくる。

「でも俺、フィーちゃんに会うの久しぶりだし、見舞いのお礼もしなきゃだしさ。何か欲しいものないか、ちょっと電話して訊いてよ」

「いやでも、フィー、携帯持ってないし」

「皐月さんちにいるんだろ? 家電に掛けたらいいじゃん」

「う…」

 やばい。正論すぎて、返す言葉がない。いっそ、家電は故障中と嘘をつこうかと思ったけど、万が一、孝があの家にいる間に家電が鳴ったら、そんな嘘はすぐにばれてしまう。そうなったら、それこそ言い訳が面倒だ。

 どうやって切り抜けようかと、頭を真剣に悩ませたその時、『ル○ン・ザ・サアア~』と、往年のアニメソングが俺の携帯から流れた。途端、一緒になって、まあっかに~もぉえるぅ~。と、歌いだす孝に、携帯を取り出しつつ、呆れの目を向ける。

「お前、いつの間に俺の携帯弄った?」

 本当に油断も隙もない。孝は歌うのをやめて、得意げに笑う。

「さっきの間に。これなら、真生も嫌がらないかと思って」

「まあ、この前のプ○キュアに比べれば、いいけどさ。つうか、そういう問題じゃなくて……」

 ぶつぶつ文句を言いながらも、携帯のディスプレイに表示された『着信:非通知』の文字に、俺はやや眉を顰めた。確か設定で、非通知着信拒否にしていたはずなのに。不審に思いつつも、通話ボタンを押して耳に宛がう。

「もしもし?」

『遅い。もっと早う出ぬか』

「は……?」

 前置きも何もなく、いきなり耳に飛び込んできたその声に、自ずと盛大に眉根が寄った。聞き慣れた声なのに、あまりに予想外すぎて、一瞬本気で誰だか分からなかった。

『は、じゃなかろう。お主が窮しておるようゆえ、わざわざ助け舟を出してやったというに』

「はっ? えっ? フィー? お前、なんで、電話……」

 驚きのあまり、声が大きくなった。思わず咄嗟に指輪に視線をやる俺の前で、フィーの名前に反応したのだろう、孝も少し驚いた顔でこっちを向く。

 フィーはいつも通りの口調で、電話の向こうから言って返した。

『喧しい声を出すな、五月蝿い。ちょっと念波を電波に介入させているだけだ。これしきのこと、なんでもない』

 説明はよく分からないものの、その微妙に得意げな声色から、権高な表情を浮かべているだろうことは目に浮かぶように分かった。そのままフィーは急いたように続ける。

『そんなことより、私は皐月の家にずっといたような素振りで、お主達を出迎えれば良いのだな?』

「あ、うん。お願い」

『分かった。では私は、お主が玄関を開ける少し前に、姿を消して指輪から出、先に家の中に入っておくゆえ、お主もその心積もりでいるように』

「うん、分かった」

 シシィにも、せめてこの半分でも配慮の心があったらいいのに。予想外のフィーの気遣いに感心しつつも、そんなことを切実に思う。

「ありがとう。じゃあ、よろしく」

 だけど、そう心から感謝の意を告げて電話を切ろうとした途端、フィーが声色を変えた。

『待て。このまま携帯を孝に渡せ』

「え、なんで?」

『なんででも! 三秒以内に渡さぬと、お主の大事な携帯のボタンというボタンから、この先絶え間なく水が吹きだすことになるぞ』

 突然の命令口調に不審さが拭えないものの、その脅し文句を前に、もはや俺に拒否権はない。絶え間なく水が吹きだす携帯なんて、そんな迷惑道具、ご免被る。仕方なしに言われるがまま、携帯を孝に差し出す。

「孝。フィーが代われって」

 孝は、きょとんとした顔で人差し指で自分を指差すと、俺から携帯を受け取った。

「もしもし、フィーちゃん? 元気?」

 何の躊躇もなく、孝が携帯を耳に喋りだす。俺は素知らぬ顔を装いながら、出来るだけその会話に耳を欹てた。

 フィーが孝に何かするとは思っていないけど、ぽろりと余計なことを言う可能性がないとも限らない。なんせフィーは、俺と彩乃ちゃんのことで多大なる勘違いをし続けているのだ。その上で、さっきの食堂での俺と孝の会話を聞いている。ないとは信じたいけど、万が一、フィーが妙な気を使って孝に、彩乃ちゃんとのことを匂わすような発言をしたらと思うと気が気じゃない。

「今からさ、真生とそっち行こうと思うんだけど………うん。あ、ほんと? よかった」

 俺の心配を余所に、孝は軽快な口調でフィーと話をしている。歯痒いことに、一生懸命聴覚に集中しても、俺には目の前で喋っている孝の声しか聞こえない。もっと近寄って携帯を持っている手に耳を寄せたら、フィーが何を言っているか聞こえるかもしれないけど、さすがにそこまでしたら孝に怪しまれるだろう。

 楽しげに会話を続ける孝を前に、どきどきと苛々が入り混じった妙な気分を持て余し、俺は指輪に目を落とした。無駄だとは思いつつ、そこにいるフィーに向かって、余計なことを言うなよと念じてみる。大体、なんでわざわざ念波とやらを使ってまで、今ここで孝と話す必要があるんだ。どうせ、後で顔を合わせるのに。

 ふと頭に浮かんだその疑問は、次の瞬間、孝の口から出た言葉で殆ど解明された。

「あははは、そっか。……あ、そうだ、フィーちゃん、何か欲しいものある? 何か買っていこうかなって思ってるんだけど」

 思わず、指輪を見つめたまま、顔が引きつった。

 何か欲しいもの。そう孝に訊かれて、フィーがないなんて答えるわけがない。よく考えてみれば、フィーが電話をしてくる直前に、何か欲しいものがないかフィーに電話で訊いてくれと孝は俺に言っていた。フィーはそれを聞いていたのだ。

 ―――なるほど。これが狙いだったか、フィーのやつ。何が、困っている俺への助け舟だ。ちゃっかり自分のためじゃんか。

「え? 汁粉ドリンク?」

 携帯片手に怪訝そうな声をあげた孝の、その予想通りすぎる言葉に、俺は軽い頭痛を覚えて片手で顔を覆った。

 

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